ミレニアムの年に転機を迎える

 前述の如く、私は30代後半までの時代は絶頂期であった。会社に行くのが楽しく何もかも上手く回転していた。
 ミレニアムのカウントダウンを私は会社で迎えていた。2000年問題を抱えていたからだ。年齢的にも厄年になる。でもそんな事は関係ないと思っていたのだが...。


 2月初め、病院で検査の立会いををしていた時、連絡があって、私に転勤命令が下った。それまで13年間、人生の3分の1を過ごした街や土地の人々の人柄に愛着を持っていたので、離れるのは抵抗が凄くあった。

 後任者はあと2年で定年を迎える名誉職みたいな者に譲らなければならなかった。明らかに間違った人事だと思った。
 私がそこに移れば2~3割の売上アップは期待出来るだろう。
 しかし今の営業所は逆に半減するだろう。東北全体から見ればマイナスである。
 転勤させる目的を聞いたが、納得させる返事は無かった。要は定期的人事の枠に填められたのだ。

 4月中旬からの引継ぎ作業、最初に一週間は自分が後任者へ託す期間。それが終わると次週は、自分の転勤先に伺って前任者から引継ぎを受けた。
 医療機器関係だから比較的、引継ぎは長いものになる。

 結局、郡山には昭和62年から平成12年まで住んだことになる。慌しく5月の連休に引越し作業をした。ダンボール箱に荷物を積めている最中でさえ、「この転勤、中止にならないか。」と思ったものだ。
 後ろ髪を引かれる思いで、郡山市を去った。

 気持ちの整理が付かないままの転勤であった為、新しい街には馴染めなかった。事務所内でも私が醸し出している雰囲気を感じ取っていたのだろうか、部下からは、よそ者が他人の家庭に入るような目で見られた。

 ここでは、衝突やトラブル...それまで経験したことのない挫折を味わった。思えばこの時が、人生の転機であったと述懐している。

 郡山を離れて運勢が下がってしまったのである。イヤだったら断固、自分の考えを貫き通すべきだった...。



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2008年08月23日 Posted by杜の都の素浪人 at 21:00 │Comments(1)郡山での思い出

この記事へのコメント
はじめまして。

私も、以前、東京で10年間勤めていた会社で、

素浪人さんと同じような境遇になりました。

そして、大企業の学閥や縦社会の古い体質に嫌気が差し、

脱サラして郡山市に移り住みました。

これからもいろいろなお話をお聞かせ下さい。
Posted by 共感者 at 2008年08月24日 19:10
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