衝撃的だった逸見政孝のがん告知会見

 毎週日曜煮の午前中に「いつみても波瀾万丈」という番組が放映されている。今回の番組改編で16年半の歴史を閉じる事になった。
 「いつみても~」の“いつみ”は逸見政孝アナウンサーの名前からモジったものである。

 逸見政孝アナウンサーと言えば、93年のがん告知会見が印象に残っている。この年ボクは、営業所長役を仰せつかった年である。本社からは部下を1名貰った。
 所長職とは、毎月毎年、営業目標額を突破することと純粋に思っていた。同時にまだ31歳の若さではあったが、後輩を育てて、事業所としてもどんどん大きくしていく...。そういう純粋な気持ちで一杯だった。

 ただ本社から繰り出された人間は新人である。すぐには売上に貢献しない。暫らくは自分の成績イコール営業所の成績であった。それでも後輩の成長を手助けするためには、色々相談に乗り、彼の担当区域にも同行してアドバイスをした。

 その日は白河の個人病院にいた。目的は部下への営業援助だった。いくら新人とは言え、4月の転勤から間もなく半年が過ぎようとしている。まだ彼には販売実績が無かった。
 何故売れないのか? 彼に同行して営業している姿を見て、悪い箇所は修正してやろうと思っていた。

 待合室で院長先生への面会をする為、何気なくテレビを見ていた。そんな中での逸見政孝のがん告知会見であったのだ。
 時期的には丁度この頃だったと記憶していたのだが、調べてみると9月6日午後3時に、各局のワイドショーで生中継された。

 医療機器販売者としては、逸見政孝の会見で言った、スキルス性胃ガンに興味があった。それよりも衝撃的だったのは、逸見は多分、自分が助からないだろうと悟っていたのではないか? それでもテレビ人間として弱音を吐けない。自分が出来る事は全力でやってみることが視聴者への恩返しと思ったのだろうか?
 逸見のはっきりとした口調は忘れられない! それに怖かったであろう!勇気ある会見だった。この場に及んでも病気のことで番組に穴を開け、多くの関係者に迷惑がかかることを気にしていた。

 これから3ヶ月間のがん闘病生活を送るという。がんと闘う決意表明に感動すらあった。この時期、そろそろ秋風が寒く感じる時期になると、白河で見た逸見政孝アナの会見を思い出すことがある。





2008年09月23日 Posted by杜の都の素浪人 at 18:34 │Comments(0)白河での思い出

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