X-JAPAN hideの死んだ日

 昨日、以前勤務していた元同僚からゴルフに誘われた。次週の日曜日に宮城野CCでプレーするつもりだ。久しくクラブを握っていないので、勘が鈍っていると思うが、楽しく過ごせれば良い。
 宮城野CCは山元町にあるが、もう少し走ると福島県新地町となる。ボクが住んでいる所は、仙台バイパスに接しているので、6号線はすぐである。
 考えてみれば、一番近い福島県の市町村が新地町となるのだ。この新地町での思い出を話してみる。

 ’98年5月は新地町に新しいクリニックが開設された。クリニックが新規に開業すると、地元の人にお披露目祝いをする習慣が根付いてきている。
 院内は開放され、訪問者は自由に行き来が可能になる。各室に設置された高度医療機器を見せるという狙いもあるのだ。院長先生とは、福島医科大学から知合いだったので、その縁で何点か装置を購入して貰った。
 その関係上、1日からボクと部下はクリニックの援助に借り出されたのだ。

 その頃の健康ブームも手伝ってか、購入して貰った装置で骨の丈夫さを測定することになった。お年寄りが多いせいもあるのだが、患者の方も骨や血液サラサラ度などには関心が高かったと思う。測定は大盛況のうちに終わった。
 そう言えば、一緒に測定の援助をしてくれた技師のTさんは、まだ勤務しているのかな?

 2日目の正午近くだったと思うが、テレビのニュースで「X-JAPANのhideが自殺をした」と流れた。その時は、測定が忙しかったので、概要はお昼休みに知ることとなった。
 自宅マンションの寝室で、首を吊って状態で心肺停止していたのを同棲していた婚約者が見つけて、すぐに病院に搬送されたが、遅かった。享年33歳だった...。

 当時のボクはX-JAPANのことは詳しくなく、それほどの偉大なバンドであったことは後から知ったのである。既にX-JAPANは解散していたし、ロックミュージシャンって自ら命を絶つ者が少ないことを分かっているボクとしては皆が騒いでいるほどショックではなかった。醒めていたというか、要は知らないからなのだ。
 自殺した原因は、解散は引き金になったとマスコミは報道していたような...。

 その後、5月の連休も終わりX-JAPANのCDを聞く機会があった。聞いた事がある歌が出てきて、これがX-JAPANの曲だったのかと分かると、その優れた才能に一目置いた。
 hideは骨髄バンク登録への普及に一生懸命だったことも、後に知った。

 未確定情報であるが、X-JAPANは再結成される動きがあるらしい。hideの代役のギタリストは見つけられるのだろうか?
 今更ながら、X-JAPANの偉大さが分かってきた...。

   追   記

 旅館名は失念してしまったのであるが、院長先生が手配してくれて、更にはご馳走になった新地町の旅館はまだ営業されているのだろう。
 FXで少し利益が出たので、また伺って、部屋に置いてあった「思い出ノート」を書き綴りたいものだ。
   


2008年10月29日 Posted by 杜の都の素浪人 at 20:49Comments(0)相双での思い出